Date: 23/12/2022Time: 01:15

尊敬(そんけい)すべきムスリムの皆様(みなさま)! 私(わたし)たちの全能(ぜんのう)の主(しゅ)(スブハーナ ワ タアーラー)は、 数(かぞ)えきれないほどの喜(よろこ)ばしい祝福(しゅくふく)を私(わたし)たちに授(さず)けてくださいました。 その中(なか)でも、もっとも大切(たいせつ)で価値(かち)のある祝福(しゅくふく)があります。 その偉大(いだい)なる祝福(しゅくふく)とは、信仰(しんこう)です。信仰(しんこう)により、人(ひと)は向上(こうじょう)します。 信仰(しんこう)により、心(こころ)は平安(へいあん)で満(み)たされます。 信仰(しんこう)によって良心(りょうしん)は浄(きよ)められ、信仰(しんこう)によって心(こころ)はやすらぎます。 信仰(しんこう)により墓(はか)は照(て)らされ、信仰(しんこう)により復活(ふっかつ)の場(ば)は静(しず)けさを得(え)ます。 信仰(しんこう)によって人(ひと)はアル=スィラート(道(みち))を歩(あゆ)み、 信仰(しんこう)によって人(ひと)は楽園(らくえん)に入(はい)るのです。 親愛(しんあい)なる信仰者(しんこうしゃ)の皆様(みなさま)! 信仰(しんこう)には、私(わたし)たちの預言者(よげんしゃ)(彼(かれ)の上(うえ)に祝福(しゅくふく)と平安(へいあん)あれ)が伝(つた)えた 全能(ぜんのう)のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)からの すべてのメッセージを心(こころ)から認(みと)め、口(くち)にして証言(しょうげん)することを伴(ともな)います。 ジブリール(アライヒッサラーム)の「信仰(しんこう)とは何(なに)か」という問(と)いに、 アッラーの使徒(しと)は次(つぎ)のように答(こた)えました。 「アッラーと、その天使(てんし)たちと、その啓(けい)典(てん)と、その預言者(よげんしゃ)たちと、復活(ふっかつ)と、 そして良(よ)いことも悪(わる)いことも、人(ひと)には定(さだ)められた天命(てんめい)があると信(しん)じることです」。 本当(ほんとう)に、信(しん)じて正(ただ)しい行(おこな)いをした者(もの)は、楽園(らくえん)の庭(にわ)をその住(す)まいとし、 永遠(えいえん)にその中(なか)にとどまり、そこから出(で)たいとは思(おも)わないでしょう。 自分(じぶん)の主(しゅ)の御(お)しるしも、主(おも)にまみえることになるのも信(しん)じず、 預言者(よげんしゃ)たちを嘲笑(ちょうしょう)する者(もの)になってしまえば、その行(おこな)いは価値(かち)を失(うしな)い、 来世(らいせ)においては地獄(じごく)がその住(す)まいとなります。 親愛(しんあい)なるムスリムの皆様(みなさま)! 私(わたし)たちの信(しん)じる価値観(かちかん)を、守(まも)り続(つづ)ける努力(どりょく)をしましょう。 私(わたし)たちの手(て)や舌(した)が、 すべての生(い)けるものにとって安全(あんぜん)であることが保証(ほしょう)できるよう注意(ちゅうい)を払(はら)いましょう。個人(こじん)の、公共(こうきょう)の、そして孤児(こじ)の財産(ざいさん)と権利(けんり)を守(まも)り、尊重(そんちょう)しましょう。 自分(じぶん)たちの周(まわ)りに、愛情(あいじょう)と思(おも)いやりを広(ひろ)めましょう。 善(ぜん)を行(おこな)うことに幸福(こうふく)と感謝(かんしゃ)を見出(みいだ)し、 悪(あく)を行(おこな)ってしまったときは悲(かな)しみをもって悔(く)い改(あらた)めましょう。 正(ただ)しいあり方(かた)で主(しゅ)(スブハーナ ワ タアーラー)に従(したが)い、 信仰(しんこう)の原則(げんそく)を真(しん)に受(う)け入(い)れ、誠実(せいじつ)な崇拝(すうはい)を続(つづ)け、 善良(ぜんりょう)な道徳(どうとく)においては妥協(だきょう)しない信仰者(しんこうしゃ)こそが、 現世(げんせ)と来世(らいせ)の幸福(こうふく)を得(え)るということを忘(わす)れないようにしましょう。

Date: 16/12/2022Time: 01:15

親愛なるムスリムの皆様! 全能のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、次のように告げておられます。「信じる者たちよ。集会の日に礼拝の呼び声を聞いたときは、アッラーを想い起こすことに急ぎ、取引から離れなさい。その方があなたがたのために良い、もしあなたがたが知ってさえいたなら」。1 信じる者たちは、主(スブハーナ ワ タアーラー)の告げるこの節を守り、世俗の用事をいったん離れて金曜礼拝の支度をします。 金曜日は、私たちが一週間を繰り返すにあたり特別な日です。それは世俗の様々な関心事から遠ざかり、主(スブハーナ ワ タアーラー)の御前に立つ日のことです。アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)への、自らの献身の絆を再確認し、この日の祈りは必ず聞き届けられることを念頭において祈りを捧げる日です。 親愛なるムスリムの皆様! 宗教的に正当な理由もなく、金曜日の礼拝をせずに済ませてしまうことは、重大な罪となります。このことについて、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)の使徒は次のように語り、注意を促しています。「金曜礼拝をないがしろにし、三度、行わずに過ごした人の心を、アッラーは封印したまうだろう」。2 ですから、太陽が昇る日の中で最もすぐれた日である金曜日の、神聖な祝福とゆたかな恩恵のもたらす益を、大いに活用しましょう。3 金曜日には、共にアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)を思い、崇拝を捧げ、同胞の絆を深める機会を持ちましょう。子どもたちにも金曜礼拝のことを知ってもらい、若い人たちを金曜の平安の中へと迎え入れましょう。かつてアスル・アッ=サアーダ(幸福な時代)にそうであったのと同じように、金曜日には家族の全員と一緒にモスクへ向かいましょう。本日のホトバを、私たちの愛すべき預言者(彼の上に祝福と平安あれ)のハディースをもって終わります。「しっかりとウドゥを行い、それから金曜礼拝にやって来て、(ホトバに)耳を傾ける者は、次の金曜日までのすべて(の罪)を赦されるでしょう」。

Date: 09/12/2022Time: 01:15

親愛なる信仰者の皆様! イスラームの知恵と目的のひとつは、人々を正しいことと真実とに通じる道を教え、無知をとり除くというものです。教育と訓練、きちんとした礼儀作法と道徳的な規範を身につけることは、社会的・経済的な背景に関わらず、あらゆる世代の人々にとって必要なことです。なぜなら、人はただ知識と教育を通してのみ啓示を理解し得るからです。知識と教育を通して、人は世界をゆたかにします。知識を通して心と魂、そして良心を導きます。知識を通して自分の存在の理由を知り、知識を通して道徳と礼儀作法を身につけます。 親愛なるムスリムの皆様! 知識(イルム)の源は、全能のアッラー(スブハーナワタアーラー)です。アッラー(スブハーナワタアーラー)はアル=アリーム、すなわちすべてを知る御方であり、人が知らないことを教えた御方、それも筆によって教えた御方です。 知識は、アッラー(スブハーナワタアーラー)と信仰とに近づくのを助けてくれます。しかし他人を暗闇に追いやり、世俗の利益を得るために知識に関わる活動をしても、それはアッラー(スブハーナワタアーラー)の御目からすれば価値がありません。そうした探求が無駄でしかないことは、「それは、自分ではうまくやっていると思っていても、現世の生での努力がすべて誤った方へ失われる者たちのこと」。1と、クルアーンのアーヤにも明らかにされているとおりです。 親愛なる信仰者の皆様! 聖クルアーンには、次のように記されています。「……アッラーのしもべたちのうち、知識ある者だけがこの御方を畏怖する。本当にアッラーは威力あり、もっともよく赦す」。2 このとおり、知識とは全能の主をより完全に知ること、また心の中で主(スブハーナワタアーラー)への愛と畏敬の念を常に感じられるようにしてくれる、いわば道具なのです。人類に利益 をもたらす知識や実践は評価されます。しかし来世における平安と幸福は、実際に行動に移された知識によってしか得られないかもしれません。だからこそ私たちの愛する預言者(彼の上に祝福と平安あれ)は、何の利益ももたらさない知識からの避難所をアッラー(スブハーナワタアーラー)に求めたのです。

Date: 02/12/2022Time: 01:15

尊敬すべきムスリムの皆様! 全能の主は、次のアーヤを通してこのように告げておられます。 「無意味な話を聞かされるとき、彼らはそこから距離を置いて言う。『私たちには私たちの行いがあり、あなたがたにはあなたがたの行いがある。あなたがたに平安あれ。私たちは、無知な者を求めない』」。 [1] また、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は、ハディースの中で次のように語っています。「自分に関わりのない事柄からは遠ざかるということは、まさしくイスラムの人のすばらしい点のひとつである」。[2] 親愛なる信仰者の皆様! 私たちの崇高な宗教であるイスラムは、人生のあらゆる場面を通して、何かしら有益なこと、幸福を招くこと、意味のあることを行うよう命じています。 私たちの価値観や、私たちの主(スブハーナ ワ タアーラー)が与えてくださった祝福は、必要もないのに、あるいは何の目的もなしに無駄づかいするにはあまりにも貴重なものなのです。このことを自覚しているムスリムは、皆 自分自身にとっても、周囲の人々にとっても有益ではない無駄なことを避けるようにしています。自分の意識と心を、善良さと、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)への感謝を示すという意味でもふさわしいことに傾けるようにしています。 親愛なる信仰者の皆様! 聖クルアーンに従うなら、救済を得ることのできるムスリムにもっとも欠かすことのできない共通の資質とは、自分とは関わりがなく、目的のない事柄を避けることです。[3] ですから私たちは、自分自身の言葉や考え、良心、道徳をもって、ムスリムとして完成されるよう努力しましょう。ムスリムとしての自分自身の質をより高め、目的のない行為から遠ざかることで、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)の御前における私たちの崇拝も、より高められるのだということを忘れないようにしましょう。 返信転送

Date: 25/11/2022Time: 12:50

親愛なる信仰者の皆様!

イスラームの知恵と目的のひとつは、人々を正しいことと真実とに通じる道を教え、無知をとり除くというものです。教育と訓練、きちんとした礼儀作法と道徳的な規範を身につけることは、社会的・経済的な背景に関わらず、あらゆる世代の人々にとって必要なことです。
なぜなら、人はただ知識と教育を通してのみ啓示を理解し得るからです。知識と教育を通して、人は世界をゆたかにします。知識を通して心と魂、そして良心を導きます。知識を通して自分の存在の理由を知り、知識を通して道徳と礼儀作法を身につけます。 親愛なるムスリムの皆様! 知識(イルム)の源は、全能のアッラー(スブハーナワタアーラー)です。アッラー(スブハーナワタアーラー)はアル=アリーム、すなわちすべてを知る御方であり、人が知らないことを教えた御方、それも筆によって教えた御方です。
知識は、アッラー(スブハーナワタアーラー)と信仰とに近づくのを助けてくれます。しかし他人を暗闇に追いやり、世俗の利益を得るために知識に関わる活動をしても、それはアッラー(スブハーナワタアーラー)の御目からすれば価値がありません。そうした探求が無駄でしかないことは、「それは、自分ではうまくやっていると思っていても、現世の生での努力がすべて誤った方へ失われる者たちのこと」。1と、クルアーンのアーヤにも明らかにされているとおりです。
親愛なる信仰者の皆様! 聖クルアーンには、次のように記されています。「……アッラーのしもべたちのうち、知識ある者だけがこの御方を畏怖する。本当にアッラーは威力あり、もっともよく赦す」。2 このとおり、知識とは全能の主をより完全に知ること、また心の中で主(スブハーナワタアーラー)への愛と畏敬の念を常に感じられるようにしてくれる、いわば道具なのです。人類に利益をもたらす知識や実践は評価されます。しかし来世における平安と幸福は、実際に行動に移された知識によってしか得られないかもしれません。だからこそ私たちの愛する預言者(彼の上に祝福と平安あれ)は、何の利益ももたらさない知識からの避難所をアッラー(スブハーナワタアーラー)に求めたのです。

Date: 18/11/2022Time: 12:50

尊敬(そんけい)すべきムスリムの皆様(みなさま)!

私(わたし)たちの全能(ぜんのう)の主(しゅ)(スブハーナ ワ タアーラー)は、 数(かぞ)えきれないほどの喜(よろこ)ばしい祝福(しゅくふく)を私(わたし)たちに授(さず)けてくださいました。 その中(なか)でも、もっとも大切(たいせつ)で価値(かち)のある祝福(しゅくふく)があります。
その偉大(いだい)なる祝福(しゅくふく)とは、信仰(しんこう)です。信仰(しんこう)により、人(ひと)は向上(こうじょう)します。 信仰(しんこう)により、心(こころ)は平安(へいあん)で満(み)たされます。
信仰(しんこう)によって良心(りょうしん)は浄(きよ)められ、信仰(しんこう)によって心(こころ)はやすらぎます。 信仰(しんこう)により墓(はか)は照(て)らされ、信仰(しんこう)により復活(ふっかつ)の場(ば)は静(しず)けさを得(え)ます。 信仰(しんこう)によって人(ひと)はアル=スィラート(道(みち))を歩(あゆ)み、 信仰(しんこう)によって人(ひと)は楽園(らくえん)に入(はい)るのです。
親愛(しんあい)なる信仰者(しんこうしゃ)の皆様(みなさま)! 信仰(しんこう)には、私(わたし)たちの預言者(よげんしゃ)(彼(かれ)の上(うえ)に祝福(しゅくふく)と平安(へいあん)あれ)が伝(つた)えた 全能(ぜんのう)のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)からの すべてのメッセージを心(こころ)から認(みと)め、口(くち)にして証言(しょうげん)することを伴(ともな)います。
ジブリール(アライヒッサラーム)の「信仰(しんこう)とは何(なに)か」という問(と)いに、 アッラーの使徒(しと)は次(つぎ)のように答(こた)えました。
「アッラーと、その天使(てんし)たちと、その啓(けい)典(てん)と、その預言者(よげんしゃ)たちと、復活(ふっかつ)と、 そして良(よ)いことも悪(わる)いことも、人(ひと)には定(さだ)められた天命(てんめい)があると信(しん)じることです」。
本当(ほんとう)に、信(しん)じて正(ただ)しい行(おこな)いをした者(もの)は、楽園(らくえん)の庭(にわ)をその住(す)まいとし、 永遠(えいえん)にその中(なか)にとどまり、そこから出(で)たいとは思(おも)わないでしょう。
自分(じぶん)の主(しゅ)の御(お)しるしも、主(おも)にまみえることになるのも信(しん)じず、 預言者(よげんしゃ)たちを嘲笑(ちょうしょう)する者(もの)になってしまえば、その行(おこな)いは価値(かち)を失(うしな)い、 来世(らいせ)においては地獄(じごく)がその住(す)まいとなります。
親愛(しんあい)なるムスリムの皆様(みなさま)! 私(わたし)たちの信(しん)じる価値観(かちかん)を、守(まも)り続(つづ)ける努力(どりょく)をしましょう。
私(わたし)たちの手(て)や舌(した)が、 すべての生(い)けるものにとって安全(あんぜん)であることが保証(ほしょう)できるよう注意(ちゅうい)を払(はら)いましょう。個人(こじん)の、公共(こうきょう)の、そして孤児(こじ)の財産(ざいさん)と権利(けんり)を守(まも)り、尊重(そんちょう)しましょう。 自分(じぶん)たちの周(まわ)りに、愛情(あいじょう)と思(おも)いやりを広(ひろ)めましょう。
善(ぜん)を行(おこな)うことに幸福(こうふく)と感謝(かんしゃ)を見出(みいだ)し、 悪(あく)を行(おこな)ってしまったときは悲(かな)しみをもって悔(く)い改(あらた)めましょう。
正(ただ)しいあり方(かた)で主(しゅ)(スブハーナ ワ タアーラー)に従(したが)い、 信仰(しんこう)の原則(げんそく)を真(しん)に受(う)け入(い)れ、誠実(せいじつ)な崇拝(すうはい)を続(つづ)け、 善良(ぜんりょう)な道徳(どうとく)においては妥協(だきょう)しない信仰者(しんこうしゃ)こそが、 現世(げんせ)と来世(らいせ)の幸福(こうふく)を得(え)るということを忘(わす)れないようにしましょう。

Date: 11/11/2022Time: 12:50

親愛なるムスリムの皆様!

全能のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、次のように告げておられます。「信じる者たちよ。集会の日に礼拝の呼び声を聞いたときは、アッラーを想い起こすことに急ぎ、取引から離れなさい。その方があなたがたのために良い、もしあなたがたが知ってさえいたなら」。1 信じる者たちは、主(スブハーナ ワ タアーラー)の告げるこの節を守り、世俗の用事をいったん離れて金曜礼拝の支度をします。
金曜日は、私たちが一週間を繰り返すにあたり特別な日です。それは世俗の様々な関心事から遠ざかり、主(スブハーナ ワ タアーラー)の御前に立つ日のことです。アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)への、自らの献身の絆を再確認し、この日の祈りは必ず聞き届けられることを念頭において祈りを捧げる日です。
親愛なるムスリムの皆様! 宗教的に正当な理由もなく、金曜日の礼拝をせずに済ませてしまうことは、重大な罪となります。このことについて、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)の使徒は次のように語り、注意を促しています。「金曜礼拝をないがしろにし、三度、行わずに過ごした人の心を、アッラーは封印したまうだろう」。2 ですから、太陽が昇る日の中で最もすぐれた日である金曜日の、神聖な祝福とゆたかな恩恵のもたらす益を、大いに活用しましょう。3 金曜日には、共にアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)を思い、崇拝を捧げ、同胞の絆を深める機会を持ちましょう。子どもたちにも金曜礼拝のことを知ってもらい、若い人たちを金曜の平安の中へと迎え入れましょう。かつてアスル・アッ=サアーダ(幸福な時代)にそうであったのと同じように、金曜日には家族の全員と一緒にモスクへ向かいましょう。本日のホトバを、私たちの愛すべき預言者(彼の上に祝福と平安あれ)のハディースをもって終わります。「しっかりとウドゥを行い、それから金曜礼拝にやって来て、(ホトバに)耳を傾ける者は、次の金曜日までのすべて(の罪)を赦されるでしょう」。

Date: 26/10/2019Time: 12:50

イスラムには清潔(せいけつ)の大切さ(たいせつ)

あらゆる賞賛は(しょうさん)、しょうさん を受けるに
相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでな
くして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには
共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、
アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。
至高なるアッラーは聖クルアーンにおっしゃっておりま す。

誠にアッラーは、悔悟して不断に(かれに)帰る者を愛 でられ、また純潔の者を愛される。
”(クルアーン 2:222)
ほうかのところに至高なるアッラーはおっしゃっており ます。
信仰する者よ、あなたがたが礼拝に立つ時は、顔と、両 手を肘まで洗い、頭を撫で、両足を踝まで(洗え)。あ なたがたがもし大汚(ジャナーバ)の時は、全身の沐浴 を(もくよく)しなさい。
”(クルアーン5:6)
清潔さはイスラームの教えの最も基本的で、かつ最も重 要な条件の一 つです。イスラームが清潔さに置いている 重要性を最も端的に(たんてきに)示すもの のが、崇拝 行為が清潔さを条件としていることです。イスラームで は清 潔さは一つの崇拝行為としてなされるものです。な ぜなら、ウドゥー(小浄)であれ グスル(大浄)であ れ、それらは宗教上の命令だからです。クルアーンに は、「誠に アッラーは、悔悟して不断に(彼に)帰る者 を愛でられ、また純潔の者を愛されると述べられていま す。例えば、歯を清潔に保つことを指摘するハディー ス (言行録)には、「ウンマ(イスラーム共同体)にとっ て困難でなければ、彼らに 礼拝に立つ前にミスワーク (歯の洗浄のための木の枝)を命じていたことだろうと 述べられています。また別のハディースでは次のよう に 述べられています。「次の五つのことは、人間の本質が 求めているものである。割 礼を受けること、鼠蹊部の毛 をそること、爪を切ること、脇の下の毛を剃ること、髭
を短く整えること
この機会に、イスラーム教徒の入浴に関しての注意すべ き作法についても触れて おきます。性的交渉の後にグス ルを行うことは義務です。入浴の際にもグスルを行う こ とが奨励されています。そのときには排泄器官やへそな どを洗った後でウドゥーを 行い、それからグスルを行わ
なければなりません。
上記に述べられたことからイスラムには清潔の大切さが
わかっていただいたと思います。
近所、道路上、そして住んでいる場所の近くになにかご
みなどを見たら、きれいにしましょう。
以上です。